クリスマス・エクスプレス


  「じゃ、今日はここまでにしとこっか」
  「はい」
   茂はテキストを閉じた。受験生の家庭教師。

   茂はため息をついた。生徒の成績が伸び悩んでいるからではない(少しは
  それもある)。恋人との喧嘩。3日前、ちょっと気まずい電話の切り方をし
  てしまったのだ。理由は些細なことだった。ちょっとした言葉の行き違いか
  ら言い合いになってしまった。しばしの沈黙、そこでちょうどカードが残度
  数0になってしまったのだ。電話がカードを吐き出す音に慌てて何も言えず
  そのまま切れてしまったのだった。しかしさすがに直後に掛け直す気にもな
  れず、そのままになっているのだ。
   茂は自分の部屋に電話をつけてはいない。自分で言うのも何だがマメな方
  だと思っているし。でも今日はちょっと困ったことになってしまった。

恵は高校時代の同級生だ。今は名古屋に出て大学に通っている。
   茂は大阪の大学に通っている。

   お互いに割と強情な方だと思うし、誰が出るか分からない呼び出し電話に
  彼女がコールしてくるとは思えない。
仕方ない、シャクだけどこちらから電話するか。

  「もしもし」
  「あ、俺、茂」
  「あ・・・どうしたの?」
  「え、いや・・・そうだ、雪が降ってるんだよ」
  「え? 雪?」
  「そう。大阪ではこんなこと珍しいんだよ」
  「ホワイト・クリスマスね」
  「うん、ホワイト・クリスマスだよ」

  「この間は、ごめんな。ちょうどカード終わっちゃって、ほら、俺、強情だ
   からなんか掛けづらくって・・・」
  「ううん、いいの。それより、今は大丈夫なの? カードの残り」
  「大丈夫だよ」

「あのさ、」
  「なに?」
  「今夜はずっといるんだよね」
  「うん」
  「じゃぁ、またあとで電話していいかな、今バイト帰りだから」
  「わかった」
  「じゃ、またあとで」

   BOXを出ると茂は急いでスクーターを走らせた。ひとつめの角でUター
  ン。ターミナルに行ける地下鉄の駅へ向かう。。。。

   ホームには白い列車が入ってきている。
   名古屋へ向かう最終列車。
   席について缶コーヒーを開けたとき、列車はゆっくりと走り始めた。

   米原を通過する頃、茂は電話を掛けるために立ち上がった。新しいテレホ
  ンカードを買うと、サンタクロースの絵が描いてある。なかなかヤルじゃな
  いか、と思いながら、カードを入れる。指が番号を覚えている。高校を卒業
  してから9ヵ月、夢の中も合わせれば一体何度こうして、ボタンを押しただ
  ろう。

  「もしもし、茂?」
  「あぁ。よくわかったね」
  「ふふっ、3回目。」
  「え?」
  「あれから電話掛かってくるたびにこう言って出てるの」
  「電話って・・・・」
  「ご心配なく。由理に佐知子よ。からかわれちゃった。”茂君、待ってるの
   ね。はいはい、ジャマものは消えます”って」

   茂は、いますぐ恵を抱きしめたいと思った。こんなひと言がまだふたりで
  歩いていけると思える力になっているのだ。

  「今から、出られる?」
  「出られるってどこへ?」
  「セントラルパーク」
  「おもしろい冗談」
  「ほんとにだよ。今、新幹線から」
  「え・・・ほんとに?」
  「うん。名古屋まであと30分だから・・・・11時半にテレビ塔の下で」
  「ほんとに・・・来てくれるの?」
  「俺が今まで嘘ついたこと・・・・ま、それはいいとして、とにかく来てく
   れよ。ついでに、今晩泊めてちょうだい」

   受話器をおいて席に戻る途中、自分が妙ににやけているのに気がついて、
  茂は咳払いをひとつして、ちょっとしかめっつらをしてみた。5秒とは持た
  なかったけれど。

   おたがい独り暮らしだから、深夜の電話が大丈夫なのは幸いだが、やはり
  距離は大きな障害だ。だから、月に2度、名古屋と大阪をふたりは行き来し
  た。最初は、心はそばにいるのだと言い聞かせていたし、そう信じていた。
  今もそう信じている。でも、時々言い表わせないような不安に襲われるのだ。
   遠距離恋愛のつらいのは、悲しいときに会えないことではなく、嬉しいこ
  とを直接伝えられないことだという言葉を聞いたことがある。そんな話を電
  話でしたこともあった。ふたりとも妙に納得してしまい、しばらく黙り込ん
  でしまった。

   離れている間の気持ちは必ずいつか、何倍もの幸せにして取り戻してみせ
  る。2本目の缶コーヒーを空けたとき、列車は減速し始めた。

   名古屋駅。何度も降り立ったホーム。今日はイルミネーションが眩しいく
  らいに輝いている。改札を抜け、地下鉄の乗り場へと急ぐ。待ち合わせまで
  あと20分。

  「よ」
   不意に肩を叩かれた。
   振り向くと、恵が微笑んでいる。
  「あ、お前・・・」
  「びっくりさせられたんだもん。こっちだって、ね。タクシーとばしてき
   ちゃった」
  「そっか、じゃ、いっしょに行こうか、セントラルパーク」
  「テレビ塔の下はカップルでいっぱいだよ、きっと」
  「俺達だってカップルじゃないか」

  「あ、そうだ」
   茂はシステム手帳に何やら書き、そのページを破って恵に渡した。
  「クリスマスプレゼントだよ」
  「なぁに?」
   恵は受け取った1ページを見た。
  「これ・・・・・」
  「そう、直通の電話番号。この前喧嘩したあと、電話引こうって決めたんだ。
   早速次の日に手続きして。まだつながんないんだけど、初めてのコールは
   恵にしてほしいから。まだ誰にも教えてないんだよ、この番号」
  「ほんと? うれしい」
   恵のうるんだ瞳に、茂は恵がたまらなくいとおしくなった。
   いきなり恵を抱きしめる。
  「恵、メリークリスマス」
   抱きしめる腕を解いて、恵の額に軽くキスをした。
  「これは、プレゼントのオマケ。さ、いこっか」
   しっかり腕を組んで、照れ隠しにちょっぴりスキップしながら、ふたりは
  地下鉄乗り場へ向かった。